核時代、破綻した「核抑止」-戦争放棄こそ核戦争放棄の道 本間照光・著

賃金と社会保障 No.1840 (2023年12月下旬号) p.4〜

目 次
Ⅰ.広島・長崎からの宣言、「核抑止」破綻
Ⅱ.G7へ続く破綻、破局への道
Ⅲ.核時代の記憶と英知、忘却の危機
Ⅳ.「核時代」と「核時代以前」、現実と意識のズレ
Ⅴ.核時代の青い鳥、日本国憲法

 私たちは、どんな時代に生きているのか。「核時代」。現在進行中のロシア―ウクライナ、イスラエル―パレスチナ・ガザでの大虐殺――ジェノサイド・あらたなホロコースト。核兵器によって戦争・核戦争を防ぐとする「核抑止」も核の傘も、破綻している。戦局や政局の情報はあふれ、部分が伝えられては消えていく。それぞれの違いを超えていのちを守ることが共有されず、どんな時代に生きているか、「核時代」が問われることもない。
 2022年1月、米・ロ・英・仏・中の核保有大国は、核戦争を防ぐとする共同声明を出した。ところが、2月にはロシアがウクライナへ侵攻し、核の使用も辞さないとしている。他の声明参加国も同様である。核保有国と日本など核の傘のG7広島ビジョンは、その共同声明の引き写しだ。ウクライナとパレスチナ・ガザで行われている大虐殺の当事国とその同盟国は、それぞれが相手を非難しつつ自分たちの虐殺については正当化し容認し、国連で拒否権を行使また棄権している。イスラエル政府の閣僚は、原爆投下を「選択肢の一つ」と発言している。戦争・核戦争か、戦争放棄・核戦争放棄か。
 気がつかないところにおかれ、気がつかないできたが、核時代の青い鳥は私たちとともに生きている。人類史上はじめて戦争放棄・核戦争放棄を宣言した、日本国憲法である。いのちが懸かり、人類の生存が懸かっている。平和を希求することは、いのち懸けだ。青い鳥は火の鳥となって、飛翔の時を迎えている。

 Ⅰ.広島・長崎からの宣言、「核抑止」破綻
 ウクライナを軍事侵攻したロシアのプーチン大統領は、核兵器による威嚇を繰り返している。米国をはじめとする核大国はロシアを非難しつつ、自らの「核抑止」は正義とし、いつでも核で応戦する準備をしている。日本など核の傘の諸国も、これに同調している。止まぬ戦火のもと、第二次大戦後かつてないほどに、核戦争の危機が高まっている。
 太平洋戦争、原爆投下、日本の敗戦と無条件降伏から78年目の夏、広島と長崎から宣言が発せられた。破綻した核抑止から脱却し、すべての核兵器を廃絶して、いかなる場合も核を使用しないことを、核保有国と核の傘の諸国に求めている。「核不拡散条約〔核拡散防止条約〕(NPT)」(1970年発効)ではなく、「核兵器禁止条約(TPNW)」(2021年発効)への道である。
 
 「核による威嚇を行う為政者がいるという現実を踏まえるならば、核抑止論は破綻しているということを直視」「核抑止論から脱却を促すことがますます重要」(広島平和宣言)。
 「今、核戦争が始まったら、地球に、人間にどんなことが起きるのか」「核兵器廃絶と世界恒久平和の実現」「核抑止に依存していては、核兵器のない世界を実現することはできません」「今こそ、核抑止からの脱却を」(長崎平和宣言)。
 
 そして、広島と長崎の平和宣言は、日本政府に求めている。一刻も早く核兵器禁止条約の締約国になること、そのために先ずは締約国会議にオブザーバー参加することを。
 威圧と核に対し核で対抗する、核抑止論は破綻している。核抑止論は、この世の消滅そして人類絶滅の「核時代」の危機にあって、核戦争に勝つとする自らをも欺く虚構、「核時代以前」の思考だ。「核時代」の思想になっていないし、その狂気が自覚されていない。
 戦争による加害と被害、広島と長崎の惨禍を経験し、戦争の放棄を宣言した日本である。その後起こったビキニ被災、福島原発事故の核災害は、現在も続いている。三度許すまじ原爆を、そして人類生存の橋を懸けるために、今、私たちに何ができるのか。

 Ⅱ.G7へ続く破綻、破局への道
 核抑止論、それに依拠する核不拡散条約は、止むことのない核依存症ではあっても、核による人類滅亡を防ぎえない。人類生存の「核時代」の思想には、なりえないのである。その矛盾から、生まれるべくして生まれたのが核兵器禁止条約だ。
 核保有大国が主導する核不拡散条約には矛盾するふたつのことがらが組み合わされている。⑴核保有5大国だけが核を持つ権利、その他の国には核の開発や保有を禁止、⑵核戦争の危機を回避する努力・核軍備縮小と撤廃の交渉の義務付け。⑴は容易に核による威嚇と使用の権利となり、⑵を無力化する。
 事実、核保有大国の動向は、それを浮き彫りにした。2022年1月3日、ロシアを含む、米国、英国、フランス、中国は、「核保有国5ヵ国のリーダーによる、核戦争を防ぎ、核軍拡競争を避けることについての共同声明」を出した。自らの手足を縛ることになる発効した国連の核兵器禁止条約に反対し、自らの核保有と核使用については正当化するためだ。この声明で「核戦争に勝者はいない」としながら、当事国がまったく逆の行動に出ている。
 共同声明を出した翌2月24日、ロシアはウクライナに侵攻し、3月には稼働中のザポリージャ原発を攻撃し支配している。プーチン大統領は、「必要になれば(核を含む)すべての武器を使用する」と繰り返し、ベラルーシに核兵器を配備した。
 これに対し、他の声明国、米国、英国、フランスは、ロシアを非難しながらも、自らの核抑止すなわち核使用を明言している。ロシアと同じだ。いずれも、先きの⑵を掲げながらそれを無力化し、⑴を強行する。
 本年5月19日、被爆地広島で開催された主要7ヵ国首脳会議(G7サミット)で、「核軍縮に関する広島ビジョン」が出された。広島ビジョンもまた、核保有5ヵ国と同じく、「核戦争に勝者はなく、核戦争は決して戦われてはならない」としている。ところが、「核兵器のない世界の実現」を掲げながら、「全ての者にとっての安全が損なわれない」ことを条件にした。自らの安全が損なわれると考える時は、核戦争を辞さないというのだ。
 また、ロシアの「無責任な核の(脅しの)レトリック」を非難しながら、自らの核兵器の役割は「防衛目的のために役割を果たし、侵略を抑止し、戦争や威圧を防止する」としてもいる。そして、「核兵器のない世界という究極の世界」を目指すと、核廃絶を「究極の目的」に遠ざけている。
 広島ビジョンは、核先制不使用を表明せず、核兵器禁止条約と被爆の実相と被爆者についても、触れていない。その内容ばかりか文言も、核保有5ヵ国の共同声明の引き写しだ。日本政府は、G7を開催し広島ビジョンを先導し、被爆地広島から発信したと、歴史的意義を誇示している。
 ちなみに、広島と長崎の平和宣言は「核抑止」を批判するが、これを批判する主張が、8月15日、全国紙から出されている。「抑止力強化が侵略を未然に防ぐ」「(核兵器使用の)脅威に対処するには、平和を唱えるだけではなく、相手に侵略や攻撃を思いとどまらせるような抑止力や反撃能力を持つことが不可欠である」(読売新聞「社説」終戦の日)。「(平和宣言の)このような考え方は根強いが、はっきり言って、国民の命と安全を脅かしかねない危うい主張である」「首相は核抑止の重要性語れ」(産経新聞・論説委員長名「社説」終戦の日に)。
 5ヵ国共同声明、その直後にウクライナに軍事侵攻したロシア、他の共同声明参加国、G7サミット参加国、日本政府もまた、共通の世界にいる。武力に対する武力の「抑止力」、核に対する核の「抑止力」だ。そして、ガザ。
 いのちを、暴力を、序列化する。人類滅亡をもたらしかねない破局への道でありながら、それが自覚されていない。核戦争を辞さないとする狂気から醒めて正気に戻り、核兵器禁止条約に合流するのか。今、人類の岐路だ。

 Ⅲ.核時代の記憶と英知、忘却の危機
 国連の核兵器禁止条約は、署名93ヵ国、批准69ヵ国となっている(2023年9月19日現在)。そこに至った広島、長崎、ビキニ、核開発と核実験、チェルノブイリと福島の原発事故など、核被害の実相、世界のヒバクシャの声と声なき声、危機感の結実である。しかし、核による脅しと使用の「核抑止」、人類絶滅の危機はかつてなく高まっている。
 1945年、原爆投下そして日本降伏で第二次世界大戦が終結した。1950年、世界平和委員会の会議で出された、核兵器の無条件禁止を求める「ストックホルム・アピール」は、全世界で5億人の署名を集めた。そして、54年3月の米国によるビキニ核実験、第五福竜丸事件を機に、日本から盛り上がった原水爆禁止運動は、世界に広がった。
 こうした被爆者と人びとの声と運動、そして、世界の科学者や知識人の英知が、総じて「核時代」の思想として「ラッセル=アインシュタイン宣言」(1955年7月)に結実した。
 
 「私たちには新たな思考法が必要である」「一般の人々、そして権威ある多くの人々でさえも、核戦争によって発生する事態をいまだ自覚していない」「人類に滅亡をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか」「私たちは、人類として、人類に向かって訴える――あなた方の人間性を心に留め、そしてその他のことを忘れよ、と。もしそれができるならば、道は新しい楽園へ向かって開けている。もしできなければ、あなた方の前には全面的な死の危険が横たわっている」。

 「ラッセル=アインシュタイン宣言」が世界に発信されたその年、1955年8月には、広島で第1回原水爆禁止世界大会が開催された。また、同年、被爆者や遺族が原爆投下の責任を追及して訴えを起こしている。その「原爆裁判」の判決は、原爆投下を「国際法違反」と世界で初めて明言した。これは、国際司法裁判所の勧告的意見にも影響を与えた。
 
 「広島、長崎市に対する原子爆弾による爆撃は、無防守都市に対する無差別爆撃として、当時の国際法から見て、違法な戦闘行為であるとするのが相当である」(東京地裁判決、1963年12月7日。提訴1955年)。「核兵器の使用や威嚇は、一般的には国際法の上では人道主義の原則に反する」(国際司法裁判所、核兵器の使用と国際法についての勧告的意見、1996年)。(以上、NHK解説委員室「時論公論」、清永聡「原爆裁判60年 現代への教訓」、2023年8月3日)。
 
 こうした「核時代」の記憶と英知、思想は、その後、核兵器禁止条約へと続く努力があったとはいえ、深められ共有されないままに、色褪せてきたのではないか。
 核時代を研究した哲学者の芝田進午(1930~2001)は、人類の歴史は、「核時代以前」と「核時代」に分かれるとした。核時代の出現は、戦争をはじめ人類の歴史のすべてを一変させた。核時代は、人類と生命の絶滅の可能性をもたらす時代にほかならない。すべての生が絶滅させられるならば、死から再生される生の絶滅となり、したがって、「死」をも絶滅させてしまう。この世の一切を消滅させる核時代のただ中に、私たちは生きているという(核時代を論じた著作の一部として、次のものがある。芝田『現代の課題Ⅰ』『現代の課題Ⅱ』、1978年。『核時代Ⅰ』『核時代Ⅱ』、1987年。いずれも青木書店)。
 確かに、核の存在、核兵器とその「平和利用」とされた原発は、いのちの在り方、日常と非日常という世界をも変えてしまっていたのではないか。芝田進午が亡くなって10年後、東日本大震災に端を発する、福島第一原発事故が発生した。大地震と巨大津波という自然災害が、原発爆発、いのちとくらしの根源を脅かす原子力災害につながった。「核時代以前」にはありえなかった事態だ。
 気がつかないでいたが、いつもの自然や風景、日常が、いつもの通りではなくなっていた。核燃料で支えられた日常生活そのものが、それまでの日常とはまるで違っていたのである。日常が異なる時、非日常としての災害や戦争の意味も違ってくる。これも気がつかないでいたが、原発のある風景は、原爆のある風景であった。ロシアのウクライナ侵略が示すところだ。
 それにもかかわらず、戦局と政局の報道はあふれながら、今ここの核時代を問う声は聞こえない。核保有大国の指導者は、核の脅しと使用に固執している。米国の核の傘を固守する日本政府は、核兵器禁止条約に背を向け、「非核三原則の見直し」「核の共有・保有」「敵基地・指揮系統機能攻撃(国家中枢攻撃)」「殺傷可能武器輸出」「国防費倍増」「憲法改定―9条改定、戦争放棄から戦争ができる国へ」と傾斜している。そして、原発回帰へと舵を切り、8月24日、原発事故の汚染水(政府はALPS処理水と称している)の海洋投棄を開始した。
 世界では、原爆の破壊力は誇示されても、放射線の影響など被爆の実相は隠され、なかったこと、終わったこと、これからも起こらないことにされる。瞬時に消され、人間の形をとどめないほどに傷つき、放射能に苦しめられながら生きてきた、生身の人間の記憶も人生も目につかなくされる。
 この夏、米国では人気キャラクターの映像に原爆きのこ雲を模した画像がネットに上げられ、それを映画製作会社が持ち上げるということが起こっている。日本では、広島の学校教材から「はだしのゲン」「第五福竜丸」の記述が消えた。日本が米国と戦争をしたことや原爆を投下した国がどこかを知らない生徒が相当数いると伝えられる。毎日新聞の調査では、「平和学習」について、「担当教諭の約7割が困難を感じる」と回答している(8月16日付)。

 「過去の苦しみなど忘れ去られつつあるようにみえます。私はその忘却を恐れます。忘却が新しい原爆肯定へと流れていくことを恐れます」(郵便配達中に16歳で被爆した、故谷口稜曄のことば―長崎平和宣言)。
 
 忘却とは忘れ去ること、か。被爆の実相を隠し、忘れ去らせる、大きな力が働いている。「核抑止力」の中心にいる、爆心地を訪れたG7広島サミットの首脳たちは、原爆資料館を視察した。しかし、被爆の実相を展示した本館ではなく、東館で、しかも、非公開でわずか40分。面会した被爆者は一人だけで、視察内容も公表されていない。首相は、「視察した内容は全く表に出すつもりはない」と周辺に語っていた(「毎日新聞」2023年5月20日付)。
 核大国と核の傘下の指導者たち、そして日本政府もまた、人間に及ぼす核の惨禍を直視することを避け、避けさせるとともに、世界の人びとの目がそこに向かわないようにしていると、いわざるをえない。忘却を恐れるといった谷口稜曄のことばは、いっそう重く伝わってくる。
 核不拡散条約と「核抑止」、G7広島サミットに対し、核兵器禁止条約は対照的だ。禁止条約では、世界の核の被害者を助け、締約国会議を開き、まだ条約に入っていない国やNGOなどをオブザーバーとして招いている。G7のドイツはオブザーバー参加している。会議は公開で、各国代表とさまざまなNGO関係者の垣根を越えた交流が深められ、共同で運営されている。

 Ⅳ.「核時代」と「核時代以前」、
現実と意識のズレ
 核ある世界、「核時代」はそれまでのすべてを変えた。「核時代以前」とは、異質の世界だ。「戦争」と、同じことばでくくることもできなくなった。かつての戦争は、殺戮の果てに勝者と敗者を生み出した。だが、核の応酬の果てには、勝者も敗者もなく、人類絶滅しかない。
 戦争は、核時代においては、いつでも核戦争となりかねない。現代の世界は、殺し合いへの衝動を内蔵し、そのハードルを下げる。日常でも、多くの人に人間らしく生きることが保障されていない。それが人道を貶め、いのちを軽くし、対外紛争と虐殺、戦争へのハードルを低くする。そして低くなり支えを失ったハードルが、核の保有と使用のハードルを下げるという悪循環を生む。その循環を回している主要な力が、戦争と核戦争による最大限の利潤と利権への衝動を内蔵する、人びとのいのちとくらしの犠牲の上に成り立つ軍産官学複合体だ。
 いのちのあり方も、人類の歴史も、戦争も、これまでと地続きでありながら、実は、様変わりしている。それにもかかわらず、世界と日本の指導者の多くは、核時代における自分たちの歴史的位置を理解していないし、理解しようとしていない。存在は「核時代」にありながら、意識は「核時代以前」のままであったり、そこに戻されたりしている。現代世界を生きる多くの人びとも、「核時代以前」の意識のままだ。今ここにある危機は、それが自覚されていないという危機でもある。現存するいのちの現実と意識の大きなズレがあり、そのズレが広がるほどに危機が深まっている。
自らの力を過信する権力者ほど無自覚だ。
 知って欲しい。そう遠くはない記憶の中でも、核戦争への準備が、この日本で進められていた。
 戦争リスクは、核戦争リスクに一変する。「戦後政治の総決算」「西側同盟」が政権(中曽根内閣)によって掲げられた1980年代半ば、「核戦争保険」への衝動が強まった。通常の保険においては、戦争のリスクは保険給付の対象から外されている。外された戦争リスクを給付の対象とする特殊な保険が戦争保険である。その戦争保険からも、核戦争のリスクは除外されている。それでは核戦争下で石油が入ってこない「油断」が起き、日本経済と国家は沈没するとする気運が高まった。
 そして、政権の意向を受けて日本船主協会に設置された委員会が、核戦争リスクを保障する保険の創設と、それを国家保険・国家再保険で引き受けることの検討を求める報告書をまとめた。これが、実現する寸前まで行ったのである(本間「参戦体制と核戦争保険―戦争保険の核戦争保険化がもたらすもの」(上)(下)、『損保調査時報』第175号、第176号、1986年5月、6月。その後、本間『保険の社会学―医療・くらし・原発・戦争』1992年、勁草書房、所収)。
 核戦争保険は、核戦争による被害を補償するどころか、逆に人類の絶滅をもたらす核戦争を準備することになりかねない。実現寸前まで行った核戦争保険にストップをかけたのも、ほかならぬ、日本船主協会に参加する経営者たちの「不断の努力」であった。「『大きな戦争』は人類の破滅をもたらす」「『海運』は自らを滅ぼすような戦争をあてにすることはできない。『海運』はやはり『平和の子』として、安定的永続的な繁栄を目指すべきである」(大手海運会社社長の発言)(同前)。太平洋戦争では、船員の死亡率は43%、陸海軍人の死亡率の2倍以上にものぼった(㈶海上労働協会編『日本商船隊戦時遭難史』1962年)。戦火の海の記憶が、当時、海運経営者の中に生きていたのである。
 核の記憶も過ぎたことではない。今、ここで起こっていることだ。
 福島原発事故の汚染水(ALPS処理水)の海洋投棄について、首相は「国として判断すべき最終段階に至っている」として、この8月24日に投棄を開始した。政府や東京電力は、汚染水について「トリチウム濃度を国の基準の40倍に薄めて40年で放出完了」としている。汚染水にはトリチウムに限らず、破壊された原子炉に触れた多種多様の放射性物質が含まれる。それだけではない。40倍40年は、すでにタンクにたまった分に限ってのことだ。原発への地下水などの流入が続いているし、溶け落ちた核燃料デブリを冷却するための水の投入も続けている。放出の量も期間も無限となりかねない。
 また、関係者の間で、「福島が、漁業者が、風評被害を受ける」とする声が少なくない。これは容易に、「賠償問題」の回路につながる。短期で狭く、人間と人間との間の金銭関係だ。しかし、取り違えてはいけない。引き起こされているのは、賠償問題や外交カード上の問題ではない。人間の手に負えない問題である。リスクにおいてはいうまでもなく、コストに限定しても、「賠償できない問題」だ。「福島だけの問題ではない、漁業者だけの問題ではない、人間の手に負えない」。どちらの見地に立つことが、人類に未来を拓き、福島と漁業の抱える問題をも打開することになるのか。
 そもそも、「最終段階」なのは、政権なのか、それとも海洋投棄なのか。政権ならば、誰にも分かる。もって数年だからだ。海洋投棄ならば、話が違う。狭く見ても人間の都合で区切られた国境を越え、国境という概念が及ぶ射程をもはるかに越える。地球と生命の歴史の時間だからだ。短く考えても、人類の歴史だ。今ここの数年の都合で、永劫の未来を決めていいのか。求められているのは、別の尺度をまぜこぜにしない英知ではないか。放出のリスクは計り知れない。未来に何が起きるか分からない。それを、安全だ、問題ないとする。分からないことを分からないとする。どちらが科学的で責任ある態度であろうか。
 近未来でみても、放射性廃棄物の海洋投棄を全面的に禁止しているロンドン条約、そして国連海洋法条約に違反する可能性が高い。これらの条約は、放射性物質を故意に投棄することを禁じ、隔離・集中管理する「予防原則」の措置を求めている。日本は犯罪に問われ、さらに、巨額の賠償を負い、破産国家となりかねない。再び立ち直れなくなる。
 時代を取り違えた戯画は続く。「核時代」の現実にあって、それを自覚しない「核時代以前」の意識が、破局への危機を深めている。岸田首相は、「必勝しゃもじ」を抱えてウクライナに馳せ参じ、麻生元首相は、「戦う覚悟」「抑止力を機能させる」と台湾で講演している。核時代を自覚しない戯画は、繰り返されることで破局へと直結しかねない。

 Ⅴ.核時代の青い鳥、日本国憲法
 核時代において、戦争は核戦争に直結している。広島と長崎の平和宣言は訴える。「全人類の共存と繁栄を願い、真の世界平和を祈念するヒロシマの心」「世界平和を根付かせる取組」「武力によらず平和を維持する国際社会が実現する環境を作る」(広島平和宣言)。「人間を中心に据えた安全保障」「憲法の平和の理念を堅持する」(長崎平和宣言)。
 核戦争を起こさないためには、戦争を起こさないこと、そして核廃絶以外にない。戦争放棄こそ核戦争放棄の道だ。それは、夢物語ではない。人類絶滅か生存か、核時代の現実が要請するところだ。あらためて、広島と長崎の宣言を注視したい。「武力によらず平和を維持する」「憲法の平和の理念を堅持する」。訴えられているのは、人類史上初めて戦争放棄を明示した日本国憲法(1946年)を生んだ地の底からの力であり、日本国憲法に結実した、核時代の英知だ。

 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」「われらは、全世界の国民〔人びと、peoples〕が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」(前文)。【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】――「戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」(9条)。「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、〔中略〕侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」(97条)【基本的人権の本質】)。

 この日本国憲法は、「世界人権宣言」(1948年)に続く。
 
 「全世界のすべての構成員の固有の尊厳と平和で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である」(前文)。

 日本国憲法第9条の「戦争」「戦力」「交戦権」の放棄は、「核戦争」「核戦力」「核交戦権」の放棄だ。すなわち、「戦争放棄」は核戦争放棄になる。
 日本国憲法は、「人類の多年にわたる自由獲得の努力」と「核時代」の現実が生んだ、珠玉の人権宣言書にほかならない。
 核時代の人権宣言書は人間を支え、それを支えているのも人間である。一人ひとり誰もが生きる権利を持っている。憲法は、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」(13条)を人びとに保障している。そして、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(25条)で生存権を保障するとともに、「自由及び権利」の「保持」のための「不断の努力」(12条)を私たちに求めている。
 この日本国憲法の柱は、主権在民(国民主権)、戦争放棄(平和主義)、基本的人権の尊重であるが、それらは相互に支え合っている。誰もが人間として生きられ、平和のうちに暮らすことを、憲法が支える。その憲法を主権者たる人びとが支える、「不断の努力」。
 生きる、いのちを支える、人間らしく生きられる社会をつくる努力。「不断の努力」は、人びと、私たち一人ひとりの「ふだん(普段)の努力」だ。ふだんのいのちとくらしのあり様が、戦争そして核戦争を防ぐ力となる。
 実際、何が三度の核兵器使用をかろうじて食い止めてきたのか。いのちとこの世の地獄の実相の中から生まれた人々の声、ノーモア・ヒバクシャ、そしてグローバルヒバクシャの運動にほかならない。自分のために生きることが、同時に人のために生きることになる世の中をつくり、人類の未来を拓く。むろん、平坦な道ではない。いのちが懸かっている。いのち懸けの試練に試練が続く。
 私たちは、どんな時代に生きているのか。気がつかないところにおかれ、気がつかないできたが、人類生存の幸せの鳥、核時代の青い鳥は私たちとともに生き飛ぼうとしている。
(年代表記は2023年時点)
(ほんま・てるみつ)

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